子育てが私に教えてくれたもの~Maimyshopと共に~

今の私の価値観は子育てを通して息子から教わったこと

新年度に入りましたね。
早いものでMaimyshopも今年で10年目に入ります。

40歳で起業して今年で50歳に
今思えばあっという間の10年でした。

もともと起業することなんて
考えもしなかった10年前
息子の発達障がいがきっかけで、
息子のためにコミニティづくりをしようと思って
立ち上げたMaimyshop

いろんな仲間の後押しで起業することになり、
息子の成長とともに、
息子のためのコミニティの位置づけから
心地よい暮らし提案の場へとシフトしてきました。

当時1年生だった息子もはや
この春で高校2年生になります。

息子のために始めたという事もあって
息子の成長とともに、
事業内容も変化してきたように思います。

これからは息子は
私の手を離れて自立していく時期になり
私自身も
息子から距離を置きながら
私自身のための生き方暮らし方を
構築していく時期に来ているのだろうと
そんな思いでいます。

息子の子育てや障がいのおかげで
私の生き方暮らし方価値観も
変化成長させてもらったとおもいます。

お金を稼ぐことが幸せだと無意識に勘違いしていた自分

生きるとは?
暮らしとは?
住まいとは?
健康とは?

独身時代、仕事に明け暮れていたころ

・サラリーマンとして働くことしか考えられなかった自分
・自分の仕事の成功とキャリアアップしか考えなかった独身時代
・お金を稼げなかったら成功ではないと思っていた自分
・学歴や資格が将来を決めるとどことなく思っていた自分

結婚してからも
子どもが生まれても私には子育てが向かないからと
早々に保育所にお願いして
自分も仕事でバリバリ稼ぎたい!


今思うと、
そんな思いを漠然と持っていたように思います。
仕事にしか目がいかなかったし
遊びも仕事の延長のようなものだったように思います。

でもそんな自分にどこか疲弊していた自分もいて
結婚してしばらく仕事はお休みしたい。
そんな気持ちもありました。

そう思っていたはずなのに
結婚して東京から関西に移り住み、
結婚式の打ち合わせに関西に来ていた時も
無意識に仕事のできる先を探していたことを
思い出します(笑)

結局結婚してすぐ 仕事を再開しました。

仕事で成果を上げることが
自分の中での生きがいになっていたんだと思います。

そんな中で息子を妊娠出産したのが
結婚して2年後のことです。

息子が生まれてから私の価値観が大きく変わることになりました。

息子が安心できる環境をつくりたい そんな思いの幼少期

出産2か月前に早期破水して
そのまま大学病院のICUに緊急入院
1か月入院ののち、息子が誕生しました。

今思えば昔から息子は音に敏感で
お皿を洗う音でも起きてしまうほど。
なので、息子が寝ているときは
とにかく物音立てないように注意していました。

周りの赤ちゃんに比べて
なんとなくやることがゆっくりだったし、
目もあいづらいと思っていたんですね。


私には息子と同じ年で
ちょど1年早く生まれた姪っ子がいました。
両方近くで見ていた母の声掛けで
息子の発達の遅れに気が付き2歳前には
発達の遅れの傾向がわかりました。

今ふりかえれば、 早くに分かったことで
そういう覚悟と気持ちの持ちようが早くできたことは
私たち親子にとって良かったと思う出来事でした。

それから私は息子のために
自分ができることはなんなのか?
息子をサポートしていくためには
会社員という枠では十分に息子をケアできない。

そう考えた私は
会社員としてバリバリ働くことをあきらめて
息子のサポートのために
自分らしくできることを模索しはじめました。


とはいえ
・子育てが苦手な自分
・実家が遠い
・関西には友達がいなかったこと
・主人の仕事の忙しさで協力が得にくい

そんな中で自分の得意なことを生かして
できることは何か?

それは 人とのコミュニケーション

息子が苦手とする人とのコミュニケーションを
私がサポート補ってあげようとおもったのでした。

それから私は息子のコミニティづくりにいそしむべく
積極的に幼稚園や同じマンションに住む
ママお友達やコミニティに息子と積極的に参加することになりました。

それをきっかけで
自分の専門分野でもあった住まいの仕事の経験を活かし
自宅でいろんな方を招けるような
レイアウトやインテリアの工夫をして、
たくさんの友人仲間を集めて
誕生日会・ママの会・クリスマス会
などなど

多い時には親子40名以上が我が家に集まるという
今思えばものすごいパワーだったと思いますが
たくさんの友人ができました。

本当に楽しかった時期でもありますが
同時に周りの子どもたちと息子の成長の違いを
感じていたし、
息子のために自分が見守り
安心できる環境を自分が作らねばという気持ちが
強かったのだと思います。

息子を理解してくれる人たちの環境を
自分の家で作ろう

そんな意識が無意識にあったと
振り返るに思います。

周りの勉強に追いつくことに必死だった小学校低学年時代 Maimyshopが誕生

息子の勉強や成長について
焦りを感じた最初の出来事がありました。


それは 小学校の就学前検診

親が学校説明会を体育館で聞いている間に
子どもたちが教室で座って
先生のお話を聞きながら課題に取り組んでました。

ですが息子は先生の話を
聞いたり理解することはおろか、
一人で座り続けるのも難しく、
私は体育館から先生に呼び出されて
結局息子についていて、
保護者説明会はあとから
友人に聞くことになりました。

その時、おぼろげに幼稚園から
息子と周りのお子様の違いを感じてはいましたが
よりその違いを突きつけられた思いでした。
周りのお友達と同じ環境にいることの
ハードルの高さを思い知られましたし。
友達はたくさんいたけれど
何か取り残されたような悲しい気持ちになったことは
今でも忘れられません。

そして息子のために
コミニティを作るだけでなく
学校行事にも積極的に参加して
息子の活動を側面から見守ると同時に
息子にも周りの子どもたちの中に適応できるよう
教育指導していく必要があるとおもったのです。

息子の入学前から
これまでの市の療育に加えて
スパルタ系の個人塾的な
息子の療育塾に通うことになりました。

3年半通い、その間に
支援級から通常クラスに変更し
勉強は私が塾と連携して教えることとし、
必死でひらがな、たしざんひきざん
二年生になって通常級に代わってから
1学期の間は息子のクラスに1日中付きっきりで
見守り、
1年間は息子の遠足の引率も行い
一人で学校に通えるまで付き添い3年余り

あの頃周りと比べることばかりだった私に
反省もありながら、
一方では
その塾で教わったことで
息子に何かを伝える。教える。
表層だけできたようでもその中身を理解する
そのためによりスモールステップで検証して
何が理解できて何が理解できていないのか
掘り下げる大切さを学びました。

同時にその塾の後押しで
息子を通常学級に転籍することを
後押ししていただいたので
厳しくも愛のある療育塾だったと思います。

そうこうしているうちに
息子なりに学校に慣れて
通常クラスで息子なりの生活の仕方を覚えて
私の手を少しづつ離れて社会性を身に着けていく中。

私自身も新しい家ができたことで
Maimyshopが誕生。
息子のコミニティづくりから生まれたお店が
いつしか
たくさんの人とかかわる中で
たくさんのつながりが生まれました。

起業という新たな選択肢ができたのも
息子に寄り添いながらできる仕事の形を考えた末の事で
結果たくさんのお客様とのつながりが
自分の価値観を広げて成長させてくれました。
息子という存在がいたからこそだったのです。


勉強のことばかり考えるより息子のらしさを考えるようになった高学年

息子が高学年になってきて
学校生活にも慣れたころ、
私の中に疑問が芽生え始めました。

息子にとって勉強を必死にやることが
よいことなのだろうか?


小学校中学校は当たり前のように
義務教育です。
なので、先生方も教育課程の内容を
所定の年数で終えなければならず、
そのために毎日一クラス30人近くの
生徒たちに指導するのは
容易なことではありません。

それは学校の様子を近くで見てきて
感じていたことです。

息子のみならず
学習習熟度は生徒によって幅があり、
理解の仕方も様々です。
ですが授業は一斉に行われるので
皆それについていかねばならず
追いつけ追い越せ必死です。

息子に至っては
高学年になるとますます
その難しさに直面することになります。

もちろんそういうために支援級もあるわけですが
支援級に行ってしまうと
当時は通常クラスの子どもたちとの
接点が極端に減ってしまう現状がありました。

勉強をとるのかコミニティをとるのか

私たち夫婦の中で相談した結果
コミニティでした。

社会で生きていくうえで人とのコミュニケーションは
どんな形であれできなくては生きていけません。
一人では人は生きていけない

そうしたとき息子に必要なのは
勉強以上に人とかかわる経験だと感じたのです。

もちろん授業の内容はわからないことが
ほとんどだったと思います。

それを受けさせることに意味があるのか?
毎学期毎に行われる支援会議では
学校の先生からはそれを心配される声も
上がることもしばしばありました。

ですが反面 息子がその学校の中で
えられる社会経験というものが
今後の人生生きていくうえで大きな基礎になる。
私はそう信じて先生方とも積極的に
息子の情報開示をして連携することを心掛けました。

周りの子どもたちも成長とともに
様々な形で息子とかかわってくれました。

そして小学校6年間での成長は
入学前検診のあの時私が想像していた以上の
息子の成長をみせてくれたのです。

その姿を見続けてきて感じたことは
これからは私が息子の環境を作るのではなく
社会の環境の中で
息子らしさを見つけていく時期に来ているのだと


同時に私自身
息子を通じて自分らしく生きることの
大切さを息子から教わったのだと思います。

自分らしく生きるとはどういうことなのか?
深く考えるようになり、
自分のビジネスにも
心地よい暮らし提案の場へと
シフトすることを決めて、活動を開始しました。

義務教育が終わる三年間。息子が自分で将来を考える時期に。

中学校に入るとき、支援級と通常級で
いろいろ学校関係のかたとも議論を重ね
中学校に息子と見学に行き、相談をして
支援級に決めました。

というのも中学校の支援級は
小学校とは違い
一人一人の勉強や将来に向けての自立に向けての活動が
充実していると感じたから。

義務教育が終わる3年間。
私の中ではもう中学校卒業後のことを
いろいろ考えていました。

この三年間の間に一番大きかったことは
息子が息子自身の考えで
進路を選択したという事。

小学校入学時は
息子の思いを聞くことは難しいと感じていた
6年前が嘘のように
中学入学時は息子の言葉で思いを
いろいろ発信するまでに成長していました。

とはいえ、
毎日の習慣生活の話はいざしらず、
息子の将来進路の話を
息子がどこまで理解できるのか?
不安もありつつも
当時から息子の発達相談に定期的にお世話になっていた
きみと先生との対話もあって
息子が自分で自分の人生を決められるように
この三年間はサポートしていこう


そう決めてのぞみました。

高校1年生の時から
息子の学校探し。学校見学。説明会。
当時は主人の海外赴任もあって、
次の転勤が東京になるかもしれないと
いう話もあったので、
東京と関西両方高校見学に行き、話をききました。

ですが一番大切にしたかったのは
息子の意思で学校を選ぶという事。

息子が自分で決めらえるように
私がかみ砕いて説明する工夫もしてきました。

私が子育てが苦手と思ってた最大の理由が
ここにあったと今振り返ると思います。
それは
弱者に寄り添う気持ちと姿勢。

冒頭にも書きましたが
独身時代の私は自分が成長することしか
考えていない人間だったように思います。

なので、自分を成長させてくれる人との出会いを
常に求めていたし、
自分が刺激を受ける場所にしかいかない。
そんな自分がありました。

なので、息子のように
自分より立場の弱い子供やお年寄り、
まして障がいがあってコミュニケーションをとるのが
苦手なお子様との付き合いなんて
とてもできるタイプの人間ではなかったと思います。

ですが、息子という存在を通して
どうやって伝えたら
どういうしくみをつくってあげたら
どういう生活習慣をととのえたら
息子らしく成長できるのだろうか?

そういうことを考えていくうちに
自分らしく生きることの大切さを息子に教わったと思います。

人の思いに寄り添う事の大切さを
息子から学びました。

私の住まいの仕事に対しても
お客様の要望をただ表層だけ聞くのではなく
お客様にとって自分らしく暮らす生きることは
どいいう事なのか?

おうち相談でも技術的なご相談の前に
どう生きたいのか?
どう暮らしたいのか?
掘り下げてお話する時間が増えたと思います。

コロナもあってオンラインも増えて
コロナで疲れている人も増えたり
よりおうち時間を心地よく過ごすために
寄り添う気持ちも大切になりました。

それがあって、
心地よい暮らしができるし
心地よい住まいがつくれるのだと
息子のおかげで私自身人として成長させてくれたとおもっています。

最終的に息子は
自分で今の高校を決めて無事合格し、
電車で毎日通学しています。
面接のときに息子の堂々とした態度は
今でも忘れられません。

高校生活の今 そして息子と私の未来

高校生になってますます息子は
いろんなことに興味関心が増えてきています

自分の意思を主張することも格段に増えて、
幼少期私が作っていった守られた環境から
どんどん飛び出して、
私の理解や想像を超える行動をすることも増えました。

親ばかな私は毎日ドキドキハラハラしながらも
そんな息子の成長がうれしくもあります。

今では将来俺は○○になる。


そんな言葉が日常でるようになりました。

最近発明家?プログラマー?アルバイト?
いろいろなころをいってますが(笑)

これからは息子に必要なことは
守られた環境でもなく
私が勉強を教えることでもなく

心と体を健康でい続けられること

心地よい暮らし提案の場として
どんな価値提案ができるだろうと考えてきた事にも
通じることになりますが、

ここ3年間で
住まいの仕事に加えて
健康について真剣に考え学ぶようになりました。

それが 衣食住

メディカルハーブブレンダー
マインドフルファッションプラクティショナー
予防医学アンバサダー
統合医療実践講座

一つ一つがパズルのピースになって
繋がって今の私ができているのだと思います。


これからは
これまでの住まいのプロとしての経験
起業して10年の間に心地よい暮らし
心と体を健やかに豊かにしていけるために
自分が学んできたこと学び続けていることを

日々の暮らしにストレスをためていたり
お子様の成長に悩んでいたり
ご自身の生き方を模索していたり
おうちで起業したいと思っている方

そういった方々に向けての
サービスを提供していきたいと考えています。

リニュアル時期は来年春1年後をめどに考えていますが
またそちらのメルマガのほうにも
書いていければと思っています。

https://resast.jp/subscribe/68094

10年目になる節目を前に
今年度はHPやSNSを含めて事業を大幅リニュアル予定です。

これからも 
心地よい暮らし住まいの提案を衣食住トータルバランスの視点でに
提案できるように精進していきたいと思います。
息子とともに成長していきたいとおもいます。


最後に息子に伝えたい歌を小田和正さんの たしかなこと