母親になって15年

先日は息子の15回目の誕生日だった。

15歳の誕生日
私にとっては特別な気持ちになってしまう。

そう。アンジェラアキさんのあの歌を聞いてから



手紙~拝啓 十五の君へ~

この歌が発売されたのは
確かまだ息子が1歳になったかどうかという
年だったと思う。

その時の自分にはまだ15歳になる息子が
想像もできなかったし
中学校を卒業して高校生になれるかどうかも
想像だにできなかったのだ。

時の流れというのは 早いもので
気がつけばもうその年になっていた。

正直よくぞここまで成長してくれた
と思う。

私自身お世辞にも子育てが上手ではないし
どちらかというと
自分のやりたいことがたくさんあって
ヒトの面倒をみるとか
まして子どもを育てることなんて
想像だにできなかったし
どちらかといえば
子どもがあまり好きではなかったように思う。

幼稚園の先生とか
保育士の先生とか
自分には絶対無理だと思ったし
子どものために
自分の時間が無くなるというのが
自分には耐えられないような気がしていたのだ

だから私は
子どもができたとわかった時に
子どもは保育園にお願いして
すぐにでも職場復帰して
サラリーマンとしてバリバリ仕事をする方が
向いているのだと
そう思っていた。



ところがいざ息子が生まれてくると
その考えはいっぺんに吹き飛んでしまった。

自分がお腹を痛めて産んだ息子
切迫早産で1か月寝たきり入院で生まれてきた息子

人生入院した経験は
後にも先にも出産のときだけだった。

そして息子は黄疸症状が出ていたので
私がさきに退院することになり
息子を病院に置いていったあの時の気持ち

人生でこんなに切なくなる想いをしたことが
あっただろうか?
初めて実家に帰ってきて迎え入れたとき
あんなにうれしい気持ちになったことがあっただろうか?

出産と子育てはすべてが
人生初めての経験であり
私の想像を超える喜びでもあったのだ。

しかし、生まれて1年と少したった頃
息子に障がいがあるかもしれないとわかり
診断を受けることになる。

まさか自分の子が!

言葉に言えない衝撃と
同時に
それまで障がいという言葉を
どこか他人事のように聞いていたのだと
同時に思い知ったのだ。

そして、
私はその障がいという名前と
紆余曲折を重ねながら
向き合っていくことになった


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それまで自分のことしか考えなかった
人生が一変して
息子中心の生活になった。

気がつけば息子の服から食べるもの
衣食住
自分のことより息子のことばかり考えていた。

息子の身の回りの物にも気を使ったし
絵本もたくさんよんだっけ。

あんなに仕事しか考えられなかった自分が
息子のことばかり考える自分に変わるなんて
あの時想像だにできなかった。

なぜなのか?

そこに理由や理屈はなかった。
息子がとにかくかわいくて仕方がなかったのだ。

息子にいいと思うものは
色んな事にトライしてきた

友達をたくさん読んで
いろんなパーティーを
企画したり
積極的にママ友達を作ったり

療育の教材を色々試したり
スパルタ塾にも通ったこともあった。

しかし息子が小学校も中学年になったころ
息子を普通にとこだわる私の中に
疑問に思うようになった。

私の心配をよそに
息子はどこへ行っても
自分らしくのびのび生きていて
それなのになぜ私は普通にこだわるのか?

そもそも普通ってなんだ?
障がいってなんだ?

障がいがあろうがなかろうが
息子は息子なのだ。


息子は周りと比べることなく
自分の思う気持ちを素直に
発信しているし
実にのびのびとしているのに
私が普通という
得体のしれないものに
こだわるあまり
息子の個性をつぶしていないだろうか?

そんな疑問がわいてきて
そこから私のスパルタ子育てが
180度変わったのだった。

そのとたん
私も息子も実にのびのび
色んな景色が楽しくなって
寧ろ
自分の周りと比べていた気持ちが
とても貧しいものに感じた。

それから世間の常識というものではなく
今の息子にとって大切なことは?
そういう気持ちになって
子育てをしてきたように思う

そうこうして中学生になって
自分で高校を選択し
様々な努力を重ねて合格したときの
あの感動は記憶にも新しく
息子の個性を信じてやれなかったら
高校受験は
初めから考えなかったと思う。

息子は一歩一歩地道に階段を
上がっているのだというその過程が
どれだけ私を勇気づけ
励まされ教えられたことだろうか。


15歳になった今でも現在進行形
最近ではうっとうしがられることも多くなったが
それでもやはり、
息子に対する愛情が薄れることは全くない。

不思議なものだと思う。

世の中 息子と言えども
自分とは全く別の人物

性格も考え方もまるで違う。

人間関係一生付き合える関係というのは
そうそうあるものではないと思うし
どんなに気の合う友達でも
離れて行ったりすることもある

夫婦関係ですら
時に離婚したりすることもある

なぜか息子には
そういう気がまったくしない。

親バカなのかもしれないが
私にとっては息子が特別な存在だというのは
まぎれもない事実なのだ。

なぜなのだろうか?

私も49年間生きてきた中で
少なからず自分の人生に
大きな影響を受けた人は何人かいる

しかし一番影響を受けたのは息子だと思う。

息子の成長が
私にたくさんのことを
気づかせてくれたのだ。

息子には私がそれまでわかっていたようで
わかっていなかったことをたくさん
気づかされ教えてもらった存在だからだ。

・人を思いやるということ
・人の気持ちになって考えるということ
・お金に変えられない価値があるということ
・家族がいかに大切な存在であるかということ
・親のありがたみ
・あきらめない気持ち
・できないと決めつけない事
・どんな人にも必ず可能性はあるんだということ
・個性は一人一人違うものであるということ
・人と比べないということ
・偉くなることがすべてでないということ
・学歴がすべてではないということ
・人にとって幸せとは何かということ
・障がいは個性であるということ
・弱い人をいたわるということ
・分け隔てなく平等であるということ
・健康はお金に変えれない財産であるということ

数え上げればきりがない

母親になって15年
息子にはたくさんのことを学んでいる

母親にならなかったら

それまで当たり前だと思っていたこと
自分の一方的な考えをおしつけていたこと
家族がいるのはあたりまえだとおもっていたこと
障がいのある人を偏見でみていたこと
衣食住の本当の大切さ

気がつかなかったかもしれない
そんな風にも思う。

文章や表層では何とでもいえるし
なんとでもかっこよく書ける
けれど
心の底からそう気がつかせてくれたのは
息子が純粋に育ってくれたからだと思う。

息子の純粋な心が
私に本当の感動をくれたのだと思う。

生きることの本当のすばらしさ
生きる事の大切さ
お金に変えられないもの
かけがえのない存在

そういった言葉では表現できないものを
息子は私におしえてくれているのだ

その昔
息子が生まれてきたときに
息子君はお母さんを選んで生まれてくるんだよ

そう聞かされたことがある

その時にはその意味が分からなかったが
今ではそれが腑に落ちる

まさに息子は私を選んで生まれてきたのだと思う。

母親という役割を
息子が私に与えてくれたのだと思う。

母親になって15年
人生の三分の一が母親業になっている。

息子の成長で
どんどん関係も変化していくと思う。
けれど
私の息子に対する愛情はこの先も
ずっと変わらないであろうと断言できる。


世の中にいろんな仕事があるけれど
母親という仕事は
本当にかけがえのない仕事だとおもう。

主婦という仕事に収入があるわけではない

主婦はお金を生み出さない

ゆえに虐げられる気持ちになる人もいる。

お金を生み出す人が偉くて
お金を生み出さない人は偉くないてきな?

昔の私だ。
何と貧しい心だと思う。

私自身母親になるまで
母親という仕事をどこか軽視していたように思う。

それなりに感謝の思いがあったかもしれない。
けれど、
両親に心からありがたいと思ったのは
自分が母親になってからだと思う。

母親という仕事は本当に素晴らしい志事だとおもう。

同時に
母親になったからこそ
心が豊かになれることもたくさんあると思う。

私は一人しか子育てをしていないけれど
それでもたくさんのものをもらっている。

何より自分の貧しい心を豊かにしてくれる
子どもはかけがえのない存在なのだ。

子育ての価値はお金には代えられない
そんなプライスレスの経験をさせてもらって
息子に感謝している。



最後に
息子へ

生まれてきてくれてありがとう
息子でいてくれてありがとう

この15年息子には十分素敵な時間を共有してくれた。

これからは少しずつ息子が私の元を離れて
息子が息子らしく歩んでいく時間なのだと思う。

わたしにとってもそれは
とてつもなく寂しいことだけれど、
息子には息子の人生がある

私が私の人生を歩んできたように

これからはそれを見守っていかないといけないんだね。

私の母親業も後半戦
息子の旅立ちの日まで
しっかり見守っていこうと思う。


親バカな私も
息子から卒業していかなければいけない
そんな気持ちを新たにするのでした。

息子の幸せを願いながら…