アンパンマンだっていいじゃない
じつは
私自身の中でトラウマがあったのだ。
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私自身がそういわれることは
一向にかまわなかったのだが、
息子がからかわれることがつらかったのだと思う。
からかうといってもちょっとした言葉がけで
息子自体は全く気にしておらず
気にしていたのは私だけだったのだ。
周りにからかわれないようにと
次の日からアンパンマングッズのものを
幼稚園に持っていくのをやめた。
そんなことを思い出す。
でもあの時自分の選択がよかったのか
今だにモヤモヤしたものがあった。
あの子に言われたから
周りがそういっているから
世間がそう思うから
そういうカテゴリーで
物事なんでも判断するのはいかがなものか?
あれから10年
久々の息子のアンパンマンブーム。
昔は おもちゃとか
洋服とか
そういったものに興味がいっていたのだけど
今はどちらかというと
自分でキャラクターを描きたいといった
ゲームキャラクターデザイン的な要素で
見るようになっているので
10年前とはちょっと違うとも感じている。
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結局息子の意志で購入決定
この先アンパンマンがどうなっていくのか
私にもわからないけれど、
ある意味これが息子の生き方なのだと
思えるようになった。
ちょっと大げさに聞こえるかもしれないが
物事のすべては【自分の意志決定】の連続だと思う。
もちろん相手を不快にさせる事は
世の中生きていくうえで考えねばいけない事だけれど
同時に自分がどうありたいか
それを自分で決められることも大切だと思う。
私という人間と 息子という人間
私自身も自分らしい表現があるように
息子にも息子らしい表現がある
ただ周りがそうしているから
みんながこういっているから
そういう視点で物事を考えることから卒業
そう思ってからかれこれ7年目
アンパンマンと聞いて躊躇する私
躊躇なく選べる息子
まだまだ私の器が小さいと思い知らされた日。
私も自分のマインド視点をもっと磨いていきたい。
息子には言えないが
そういうマインドは尊敬しているのです(笑)